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大阪家庭裁判所 昭和40年(家)1636号 審判 1966年1月25日

申立人(被相続人の遺言執行者) 川上進(仮名)

相手方 中山きぬ(仮名)

被相続人 亡中山義男(仮名)

主文

相手方中山きぬを被相続人亡中山義男の推定相続人たる地位から廃除する。

理由

(本件申立の要旨)

申立人は「相手方を亡中山義男の相続人より廃除する」旨の審判を求め、その理由として次のとおり述べた。

亡中山義男は相手方の夫であつたところ、相手方が昭和三九年四月頃義男病気中にもかかわらず、当時の使用人であつた大川明男と不貞行為をして同人と共に家出し、病床の夫を省ることがなかつた。そこで、亡義男は昭和三九年一二月一九日上記の事実を理由にして相手方を廃除する旨の遺言をし、同月二二日食道癌により死亡するに至つた。申立人は上記遺言により遺言執行者に選任された者であるから本件申立に及んだというにある。

(当裁判所の判断)

一、当裁判所昭和三九年(家)第五九六一号遺言の確認申立事件および同庁同年(家)第六〇一八号遺言書検認申立事件各記録によれば、被相続人は昭和三九年一二月一九日死亡危急時の特別方式による遺言をし、同月二二日午後一一時五〇分食道癌のため死亡した。上記遺言は当裁判所において、昭和四〇年一月一二日検認手続を経たのち確認の審判がなされたところ、同審判は同年二月一三日確定した。そして上記遺言書によれば、冒頭に「妻きぬに対し次の行為により相続より廃除すること。昨年夏頃より元店員であつた大川明男と不貞があり本年四月頃家を飛出し、病気中の義男を省りみないこと」との一項があり、これにより被相続人が相手方を廃除する旨の意思表示をしたこと、なお、同遺言により井上三男および申立人が遺言執行者に指定されたことを認めることができる。

二、そこで、前述各事件記録、本件記録編綴の戸籍謄本二通ならびに申立人および相手方各本人、参考人中山律子、同橋本則男、同井上三男、同村田司郎、同山本友子、同大川明男の各審問の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

(1)  被相続人(明治四四年五月二四日生)と相手方(明治四一年一一月二〇日生)は昭和一〇年九月頃恋愛結婚し、昭和一九年八月一五日法律上の婚姻手続を了した。

(2)  被相続人は、戦時中は徴用により工場に働き、昭和一九年には応召されて兵役にあり、復員後は郷里鳥取と大阪間を食料品等の運搬(いわゆるかつぎ屋)をして生活を維持したほかは、主として牛乳店もしくは牛乳会社の牛乳販売、配達などの職に従事したが、昭和三二、三年頃から漸く独立して大阪市生野区○○○に店舗を借り受けて牛乳販売店を経営するようになつた。

相手方は一六歳頃一たん某男に嫁いだが、同人の変態性に耐え切れず一年位で結婚を解消して、喫茶店、バー等を転々として働くうち、被相続人と識り合い上記結婚に至つたものであるが、結婚後も、或時は前借のため淡路島に渡つて酌婦として働き、また或時は大阪市内で仲居や牛乳の配達などに従事して家計を補助してきた。

被相続人と相手方とは実子に恵まれず、親戚に出生した幸子を自己の長女として虚偽出生届をしたが同女が間もなく死亡したため、続いて被相続人がかつぎ屋時代に知つた同業の女の生んだ子を引き取り二女律子(昭和二二年六月一八日生)として虚偽出生届をして、同女と真実の親子同様の関係を保つてきた。

(3)  被相続人の家庭は上記三名の小世帯であつたが、被相続人は大酒飲みであり、相手方がどちらかと言えば派手な生活を好み、また上記律子は高校に進学したうえ日本舞踊を習得したりしたため経済的にはあまり余裕がなかつたけれども、家族の人間関係は取り立てて問題にするようなこともなく一応平穏な生活が過ごされてきた。

(4)  ところで、被相続人は晩年肺結核を患い仕事にも支障を来すようになつたため、昭和三八年六月一日から大川明男(当時二二歳位)を、当初二ヵ月位は通勤で、その後は住込で雇傭したところ、同人が献身的に働いたこともあつてか、相手方は同人を家族の一員として遇するようになつた。こうした相手方の処遇に対し被相続人は何か釈然としないものを感じるようになり、折から自己の病状も漸次快方に向つたかにみえたことと相俟つて、昭和三九年三月末日をもつて上記大川を退職させた。

(5)  雇傭期間中における相手方と大川との間柄は、大川にはすでに母親がなかつたことから、当初は母子間のような気持で互に相接していたが、昭和三八年一二月大川の父親が死亡した頃には互に異性として意識するようになりさらに恋愛感情に発展していつた。

一方、被相続人は敏感に両者の関係を察知し、時には必要以上にその関係を疑つて嫉妬心から相手方を叩いたり蹴つたりしたこともあり、大川が退職後は相手方に嫌味を言つたり辛く当つたりすることがあつた。相手方は被相続人の上記仕打に反抗心を抱くと同時に、前記律子の躾すらも被相続人から封じられ、律子もまた被相続人に加担するように思われて、何か自分だけが一人取り残されたような淋さに駆られ、いつそのこと被相続人との生活を清算しようと決意し、幾度か離婚話を切り出してみたが、被相続人の承諾が得られなかつた。

(6)  そこで相手方はついに、昭和三九年四月七日午前五時頃祕かに単身家出し、以来大川の住むアパートにおいて同人と夫婦として同棲を続けている。

(7)  相手方家出後の被相続人は、健康状態の不調を訴え、甥の橋本則男を呼び寄せて同人に牛乳店の経営を委せ、自らは専ら健康の回復に努めたが、同人の体はその頃すでに食道癌に犯され病状も相当進行していた。昭和三九年夏頃に至り被相続人は自己の病気の真相を知つたがそれでも手術を受けて再起しようと考えていた。被相続人は一方では家出後の相手方の所在をつきとめ、同人に対し再三再四にわたり謝るから帰つてくれるよう懇請したが、相手方は頑としてこれを拒絶し、ただ被相続人が東京の癌研究所へ治療のため二回上京した僅かの期間中だけ律子の世話をするため被相続人宅に宿泊したのみである。かように相手方が被相続人との同居を拒み看病をも全く拒絶したのは被相続人が腹いせに相手方を丸坊主にしてやると公言していたのでそれを恐れてのことであると弁解している。

(8)  被相続人は、いよいよ余命幾許もなくなつたのを悟り、ついに相手方との復縁を諒めて離婚をする決心をし、その手続のため律子を介して離婚届用紙に相手方の署名捺印を求めたところ、同人が離婚条件などを持出して、にわかにこれに応じなかつたため、離婚の合意に至らないまま前記日時死亡するに至つた。

三、以上認定した事情によれば、相手方は被相続人の配偶者であり乍ら、同人と離婚について十分な話合いもしないまま家を飛び出し、母子ほども年齢の異る大川と婚外関係を結んで被相続人との同居を拒み、重症に陥つた同人の看病はおろか見舞さえもしなかつたものであるから、配偶者としての守操の義務および同居、扶助の義務を怠つたものであることが明らかである。相手方は上記行動をとらなければならなかつた理由として丸坊主にされることを恐れたためであると弁解し、また婚姻生活中における被相続人の態度にも多少の非があつたことは認められるが、それらの事情があつたからと言つて、相手方のとつた上記行動の反倫理性を宥恕し正当化することはできない。

そうだとすれば、相手方の上記義務違反は民法第八九二条にいう「著しい非行があつたとき」に該当するものと思料する。

よつて、遺言執行者の一人である申立人が遺留分を有する推定相続人たる相手方に対してした本件申立は理由があるから認容することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 寺沢光子)

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